「聖なる都市」のLGBTプライド――イェルサレム・プライド参加記録
8月2日に行われたイェルサレム・プライドに行ってきた。今年の6月に行われたテル・アヴィヴ・プライドには今年初めて参加したのだが、何の因果かイェルサレム・プライドに参加するのは実は今回が三回目だった。今回はイェルサレム・プライドに参加した記録を書こうと思う。
当日の午前中、筆者はヘブライ大学でヘブライ語集中講座を受けていたのだが、授業が終わり帰る途中に、大学構内にレインボー・フラッグが高々と掲げられているのを発見した。
筆者が実際に来てみて感じたことだが、ヘブライ大学は、SOGI(性的指向及び性自認の略)にもとづく差別の解消に比較的積極的に取り組んでいる印象を受けた。(詳しくは近いうちに発行される東京大学中東地域研究センター発行のニューズレターにより詳しく書いているのでそちらを参照していただければ嬉しい。リンク<http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/UTCMES/publish/publish-cat/letter>)
イェルサレム・プライドのルートはגן הפעמון(Gan ha-Pa‘amon:日本語で「鐘の公園」)から、גן העצמאות(Gan ha-’Atzma’ut:日本語で「独立公園」)までの2kmほどの道だ。15:30に会場の公園が開き、17:00に行進が始まる。筆者は16:30ごろに現地に着いたのだが、もう会場の公園は人でいっぱいだった。
この行進のルートは警察と軍によってバリケードが敷かれ、車両・歩道共に完全に封鎖される。そして公園に入る際には荷物と探知機による検査を受け、参加証を腕につける必要がある。
ちなみにテル・アヴィヴ・プライドでも警備は厳重で、入る際には荷物検査が必要である。
行進出発前の公園の中では、10余りの団体がブースを出していた。ブースやプラカードのすべては写真に収めてはいないが、公園での様子や行進中の様子をいくつか紹介しておきたい。(なお写真は全て筆者が撮影したもので、許可のない転載を禁止します)
1975年に設立され、プライドを主宰するהאגודה(ha-’Aguda:日本語で「組織」や「協会」の意味)
若者支援を行うבית דרור(Beit Dror:日本語で「自由の家」)
高い人。「平等」のプラカード。
ユーロ・ヴィジョンで優勝したイスラエル人歌手の曲をもじったヴィーガンのTシャツ
「いきものを愛せ、食うな――アノニマス」と書かれたスティッカー
世俗・右派リクードの旗を持つ参加者「あなたにはホームがある」と書かれている。
先日国会を通過した国民国家法に反対するプラカード
「国民国家法は私たち全員を傷つける」
ピンクウォッシングと占領に反対する団体(ピンクウォッシングとは、イスラエル政府が世界各地でLGBTフレンドリーだと広報宣伝することで、パレスチナに対する占領・抑圧という負のイメージを覆い隠そうとしていると非難する言葉)
「占領にプライドは無し」
「抗議者を撃ち殺すな」
「パレスチナ解放」
2015年のイェルサレム・プライド行進中に亡くなった10代の参加者の
追悼。ユダヤ教超正統派の過激派にナイフで攻撃され、亡くなった。
ユダヤ教超正統派の反対は根強く、今年は見かけなかったが、去年や一昨年のイェルサレム・プライドでは、公園の近くで反対デモを行っていた。(写真は去年のもの)
「イェルサレムはソドムではない(ソドムは性的堕落がもとで神に滅ぼされたと旧約聖書に記述のある街)」
「(赤ちゃんの写真と共に)ママとパパが欲しい」
トランプ政権発足後も継続してレインボーフラッグが掲げられている。
これらの写真は、もちろん全ての団体をカバーしているものではないし、当日取った写真は他にもあり、かなり筆者の関心に沿って撮影をしたものだ。簡単に補足しておくと、当日は他にも若者支援、新しく「アリヤー=ユダヤ人がほかの地域からイスラエルに来てイスラエル人になること」した人の支援団体、教育関係団体、レズビアン団体、トランス団体等、多くの当事者団体があった。プラカードで言えば、「平等」や「プライド」などを掲げたクラシックなものもあれば、障がいのある人に対するアクセスを訴える人や、割礼に反対する団体のプラカードなどもあった。このブログの写真だけを見ると、パレスチナ問題はイェルサレム・プライドでも大きな関心を持たれているように見えるが、筆者の感覚で言えば、多くの人が占領やピンクウォッシングに関心があるとは言えない。むしろピンクウォッシングに反対するTシャツを着ている人よりも、イスラエルの旗を掲げている人の方が多いのではないかという感じだ。
さらに、パレスチナ(とイスラエル)で活動するالقوس(al-Qaus:アラビア語で「虹」の意味、英名Al-Qaws)は、占領とガザ情勢を考慮し、イェルサレム・プライドをボイコットしている。筆者の友人のパレスチナ人ゲイもBDS(イスラエルに対するボイコット運動)を理由に参加しなかった。
筆者がイェルサレム・プライド(やテル・アヴィヴ・プライド)に参加していつも感じることは、このプライドイベントは、「ユダヤ人のものだ」と強く感じることだ。未だに強く同性愛やトランスジェンダーに対する反感が強いパレスチナ・コミュニティは排除され、ヘブライ語が支配的な一方でアラビア語はほとんど見ない。(先日の国民国家法によってアラビア語が公用語から国語に格下げされたことも、何か関係があるのだろうか)イスラエルの旗は至る所で確認される一方で、パレスチナの旗はFree Palestineを訴える一人以外に見つからない。
結局のところ、イェルサレム・プライドは事実上「西イェルサレム・プライド」なのだ。西イェルサレムの中だけを行進するこのイベントは、果たして本当の意味での「イェルサレム・プライド」なのか?東イェルサレムを彼らが歩く時、一体何が起こるのだろうか?
(イェルサレムに詳しくない方も多いかもしれないので説明しておくが、イェルサレム(ヘブライ語ではイェルシャライム、アラビア語ではアルクッズ)は国際法上は東西に分かれているとされ、東イェルサレムはヨルダン領、そしてオスロ合意では「将来のパレスチナの首都」と規定されている。1967年の第三次中東戦争の結果イスラエルがイェルサレムを「統一」し、2000年代にイェルサレムの外側に分離壁を建設したため、事実上イスラエルに統治・統合されていると言っていい。しかし東イェルサレムは今でも多くのパレスチナ人が住んでいる地域である)
筆者が感じたこれらのことは、様々な形で性的少数者当事者同士の間に排除・分断が起き、プライド本来の目的である「性的少数者の解放」という普遍的価値観が矛盾を抱えているというだけでなく、性的少数者の運動における植民地主義と排外主義、西洋中心主義がより深いレベルで呼応しているように思えてくる(パレスチナ問題だけでなく、例えばイスラエルにおける、アシュケナジーム(東欧系ユダヤ人)、ミズラヒーム(中東系ユダヤ人)といったユダヤ人の中での人種ヒエラルキーも含めた形で)。
ちなみに、イェルサレム・プライドに関する新聞報道は、ざっと見たところ以下の通りだった。左派系の新聞社を中心に報じられている。
〈ヘブライ語〉
左派系紙הארץ(Ha-’aretz:「国」の意味(厳密に言えば「国」よりも国家主義的)。)
https://www.haaretz.co.il/gallery/events/special-events/event-1.3474302
中道系紙ידיעות אחרונות(Yediot ’Achronot:「最新情報」の意味)
https://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-5321451,00.html#autoplay
〈英語〉
Ha-aretz(ヘブライ語紙הארץの英名)
中道系紙The Jerusalem Post
https://www.jpost.com/Opinion/Jerusalem-pride-564068?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
〈日本語〉
https://www.asahi.com/articles/ASL832W98L83UHBI004.html
これらの新聞報道によると、イェルサレム・プライドに参加した人の数は二万人余りのようだ。これは、実はテル・アヴィヴ・プライドの参加者25万人の10分の1に過ぎない。イェルサレムは総人口がおよそ80万人で、テル・アヴィヴはその半分の40万人ほどであることを考えると、この対比は鮮明だ。規模の他にも、イェルサレム・プライドとテル・アヴィヴ・プライドには相違点も多い。筆者の感じた両者の最大の違いは、以下の二点だ。
Ⅰ政治性の強さ:
イェルサレム・プライドは、より緊張に満ち溢れている。去年イェルサレム・プライドに参加した時は、沿道の住宅から宗教的ユダヤ人とみられる住人から親指を下に突き出したサインを受けたのに対し、プライド参加者が中指を突き立てて対抗する光景が見られた。これだけではなく、2005年、2015年にはイェルサレム・プライドは犠牲者を出している。そのため、寛容に向けた政治的主張の場であるという意識が強い。一方、テル・アヴィヴ・プライドも厳重な警備ではあるものの、中に入ってしまえば、お祭りの雰囲気だ。楽しげなクラブ・ミュージック、シャボン玉、シャワーのように浴びせられる放水、ビーチでのフロート、中で売られるアルコール…。脱政治化と商業化がより進んでいるのだ。
Ⅱそれぞれの市のテコの入れよう:
テル・アヴィヴ市は、テル・アヴィヴ・プライドを観光資源に利用しようと、アピールに積極的だ。街には看板が掲げられ、テル・アヴィヴ市には市の出資によってLGBTセンターという施設が存在し、テル・アヴィヴ・プライドの毎年のテーマ決定にはこのLGBTセンターが関わっているほどだ。テル・アヴィヴ市庁舎はプライド当日には虹色に点灯され、SOGI(性的指向及び性自認)にもとづく差別の是正に積極的な姿勢を街を挙げて打ち出している。
テル・アヴィヴ市に対しイェルサレム市は、警察の協力はあるものの、市を挙げての姿勢を打ち出すことには、消極的だ。2016年のイェルサレム・プライドに対しイェルサレム市長のニル・バルカットは公式参加しないことを決定、以下の声明を出している。
「行進するのは彼らの権利だ。イェルサレム市、私自身そして警察はその権利を享受できるよう全てのことをする。しかし彼らはそれらが他者を傷つけることを理解せねばならない。寛容性は人々が行進するのを許可することだけでなく、他者の感受性や感情を攻撃することなく行進するやり方を発見することも意味するのだ」(The Times of Israel (2016). Jerusalem mayor says he’ll avoid pride parade to not offend religious: <http://www.timesofisrael.com/jerusalem-mayor-says-hell-avoid-pride-parade-to-not-offend-religious/>)
バルカットの念頭にあるのは明らかに、前年の2015年に起きたユダヤ教超正統派の過激派によるプライド参加者の殺害事件だ。そして、より広範なレベルではイェルサレムが聖地を抱え、宗教的なユダヤ人の性的少数者に対する価値観への配慮だと考えられる。
最後に、筆者はイェルサレム・プライドに参加してみて、東京のプライドとの違いも感じた。ちなみに、筆者はイェルサレム・プライドとテル・アヴィヴ・プライドの他には東京のプライドにしか参加したことがないので、もしかしたら他のプライドと比較してみるのも参考になるかもしれない。
まず、イスラエルのプライドには、ヴィーガンやアニマル・ライツの団体が多く参加している。東京のプライドにもヴィーガンの主張を見かけたことがあるが、その規模はその比ではない。イスラエルには、キブツという独特の農業コミュニティの影響と宗教的な食事規定のおかげもあってか、ヴィーガン人口がかなり多い。他にもテル・アヴィヴで去年アニマル・ライツのデモがあったとき、その規模は世界最大規模だったそうだ。性的少数者の問題は、アニマルライツと「普遍的人権」という価値観で共通する点もあることから、これら両者の動きの架け橋が比較的進んだのかもしれない。いずれにせよ、もう少し観察が必要だ。
二つ目は、イスラエルのプライドには、「並ぶ」という概念が存在しないことだ。東京のプライドは、主催側と警察との交渉の関係か、参加者は事前に整列を要求される。そんなことはイスラエルのプライドでは要求されたことはなく、通り道は完全封鎖され、出発地点から、各々が出発し始める。これは、テル・アヴィヴとイェルサレムの両プライドが特殊なのか、東京のプライドが特殊なのか、他の地域の事情を知らないため筆者には判断しかねる。
ちなみに一般的に「イスラエル人は列に全く並ばず、自己中だ」という出所不明の言説をよく聞くが、こういう国民性が関連しているかは本当のところはよく分からないし、それが関連してるとも断定しがたい。(そもそも国民性の議論は主語が大きすぎてミスリードになるし、偏見を助長するから、個人的には嫌いだ)
という言うように、今回は、イェルサレム・プライドに参加し、その様子を簡単にまとめてみたが、まだまとまらない考えも多く、もう少し深く見続けてゆく必要があると感じた。