「当事者が差別をなくす行動を求めていない」ということは、その行動の必要がないことを意味するのか?

久しぶりのブログ更新である。おそらく一年ぶりぐらいだ。ブログなんて書いてないで早く博論を書けと言う言葉が聞こえてきそうである。全くおっしゃるとおりである。異論はない。このブログが指導教官に見つからないことを祈るばかりである。

 

冗談はさておき、Twitter上で、

 

「数年前からLGBTQをサポートする仕事任せて貰っているのだけど、”差別を無くそうぜ”という行動自体は、実はあまり当事者の方は求めてないように感じています。

法整備が整った後の社会では、LGBTQの方々がより区分された世の中になってしまいそうで、少し不安です。」

 

という旨のツイートが回ってきた。僕も賛同している「LGBTQがいじめ・差別から守られる法律を求める緊急声明」に対する声のようだ。僕もご多分に漏れず一読した時違和感があってすぐに反論したい気持ちになったのだが、前半の部分は、考えれば考えるだけ、複雑で難しい問題のようにも思えて、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思うようになった。

 

まず、僕は単なる一端の大学院生で、Twitter上でこのような本件に関してTwitterで直接言及されたわけではないので、「勝手に変なやつがつっかかってきた」と言われればそこまでである。特に、個人的にはTwitterというプラットフォームは個々人によって使い方があまりにも異なっていて、使いづらいと考えているので、尚更そう思われたら申し訳ない。なので、もしその場合は全く無視してもらって構わないし、場合によっては喜んで削除に応じる。

 

その上で考えたいのが、今回のタイトル『「当事者が差別をなくす行動を求めていない」ということは、その行動の必要がないことを意味するのか?』という話だ。

 

上述のツイートは、かなり好意的に解釈すれば、わからないこともない。つまり、この方は、差別がないと言っているわけではないのだ。あくまで、「その行動を求めていない」ということに主眼が置かれている。

 

例えば、僕は普段ゲイのバスケットボールのチームに入って時々運動をしているのだが、同年代の自分以外のメンバーの多くは、いわゆる政治的な問題にほとんど関心を見せない「ノンポリ」の人たちばかりだ。そういう友人たちと絡んでいると、そういう人たちがそういった行動を「求めていない」というのはよくわかる。

 

ただ、その友人たちが自分のセクシュアリティで困っていないかと言われると、どうやらそうではないようだ。例えば、「小中学校のころ、オカマっぽいと言われていじめられた」とか、「父親にカミングアウトしたら(冗談ではなく命の危機を感じるという意味で)殺されるから出来ない」という話をしてくれた子もいた。もちろん普段は明るくバスケをしていたり、一緒に飲んでいるだけなので、そんな時にそんな話はしてくれない。そういう「暗い話」は場がシラケるからである。本当に仲良くなった時に、心を許した時にだけ話してくれる。

 

他にも、バスケットとは関係ないが、「自分のセクシュアリティが親にばれて家を追い出された」、「親からの理解が得られず、追い出された結果、生活保護を受けて暮らしている」など話してくれた友達もいた。

 

つまり、「差別をなくす行動」を求めていようがいまいが、差別というのは無慈悲にも当事者に降りかかってきているようだ。 それでもこれらの僕の友人らの全員が「差別がなくなるための行動」に積極的に参加したいと思っているわけではない。どこか遠い存在として見ているところがあるのだ。なぜだろうか。

 

その一つの理由は、差別をめぐる複雑さだろう。差別というのは、「はーい、私が差別でーす」と言って現れてくるわけではない。差別というのは、様々な形態の結果としてあらわれてくる。それが暴力だったり、暴言だったりしたときにはわかりやすいが、からかい、あるいは身近な人からの協力を得られないことによる日常的なストレス、鬱、精神的な不安定、特定の病気へのかかりやすさ、薬物などの依存、自死など、差別は様々な形で現れてくる。

 

しかも厄介なことに、そうした「結果」は必ずしも当事者全員が経験するわけではない。ある人は幸運なことに身近な人に協力者が得られたり、またある人は孤独感を抱えたまま過ごすことになったりする。その色々な結果の混ざり合わせとして「異性愛者に比べて同性愛者は自死率が高い」などの統計的な不均衡として現れる。

そして、またある人は、それをはねのけるパーソナリティを身に着けたりして、「差別」を「差別」と思わないまま処世してゆく。

 

おそらくこのツイート主の方のもとにはそういう「幸運だった当事者」が声を寄せているのかもしれない。それはそれで、とても喜ばしいことだ。

 

ただ一方で、そういった声にならないまま、残念ながらジェンダーセクシュアリティが原因となって自死という選択をしてしまう当事者がいるのも事実だ。去年あたりに、とても仲が良かったわけではないけれども何度か話したことのある、LGBTQの活動に関係していた当事者の一名が自死をしたとの知らせを受けた。仲が良かったわけではない自分は、その人の自死の原因を今でも知らないし、それは推し量るしかない。ただ、その人の声を誰かが聞く必要はなかったのだろうか、と立ち止まって考えることは今でもある。

 

差別は色々な結果となって現れると書いた。差別は「無知」となっても現れる。なぜなら絶えず苦しんでいる当事者の声はかき消されるからだ。そもそも「暗い話」はその場のTPOや「空気」にそぐわないからと、なかなか発言をする機会がないし、場合によっては、当事者の声が、例えば死んでしまうことによって物理的に聞こえなくなってしまうからだ。

 

僕は東京大学の当事者の集まりのサークルを運営をしたことがある。東大は8割が男子生徒なので、自然とゲイ・バイの学生が多くなる。ある日そこに、明らかにゲイ・バイではない当事者の学生が現れた。その人は、よそよそしそうにしながらあまり話の輪に入ることができず、最終的にはサークルにはあまり顔を出さなくなってしまった。後から考えるに、サークルの場ではその人のジェンダーセクシュアリティとは異なる人たちが優勢だったために、居心地の良さを感じられなかったのだと思われる。では、言葉にはしなかったものの、その人は、サークルのような「居場所」を必要としていなかったのか。その人の「自分と同じ属性を持つ他の人とつながりたい」という希求や声は、なかったことになるのか。より多様なジェンダーセクシュアリティに向けた居場所づくりの必要はなかったのか。そうではないだろう。

 

さて、差別の帰結としての無知の話をした。その「無知」というのは、当事者も非当事者も関係がない。そのような経験をしている当事者であっても自分に降りかかった経験がよもや差別と結びついているなんて思わずに、「SOGI(性的指向及び性自認)に基づく差別は存在しない」と思っている人もいる。

 

僕は、珍しくも自分の家族にもカミングアウトを済ませたオープンなゲイだ。僕の場合は、ラッキーにもセクシュアリティが理由で例えば両親と不仲になって支援を受けられない等の経験をしたことはない。自分が高校生の頃はカミングアウトをするかどうかで文字通り死ぬほど悩んだが。

 

自分は父親が次男で家を継ぐプレッシャーがなかったとか、都市部の比較的リベラルな家庭に生まれたとか、そういった要因が重なってラッキーにもそういう状況にはなっていない。だが、当事者が、そういう意味での「ラッキー」かどうかによってその人生を左右されていいのだろうか。

 

僕はその不均衡さを是正する唯一の方法が、「制度の改変」であると思う。ここで言う制度というのは、単に法的なものだけではなく、家族などの社会の構造までを含めた広い意味だ。もし、これ以外に当事者らの生活を向上させる魔法のような力があるならどれだけよかっただろうか。そんな力があれば、「そんな声ばっかり挙げて、偽善者だ。」と言ったバスケットボールの友人に、社会の変化をあきらめさせずに済んだのかもしれない。

 

そういう友人たちに思うのは、「あなたが今生き抜いているのだって立派な運動の一部だよ」ということだ。なにも別に街頭に出てデモをしたり、声を上げるだけが運動ではない。もし社会がLGBTQに対して「死ね」と言ってくるのなら、生き続けることだって立派な抵抗だ。具体的な行動の中身に違いはあれど。

 

差別をなくすための行動は、僕にとっては非常に重要だと思っている。それは、無慈悲な現状を「もう無理だ」と投げ出してしまうのには、まだ自分にはあきらめきれない頑固さが残っているからかもしれない。まだあきらめられないから、まだあきらめたくないからである。

ユダヤ研究者米国派遣報告

3月3日~10日までの8日間の間、外務省のユダヤ研究者派遣プログラムKAKEHASHI Projectによって米国のニュー・ヨークとワシントンD.C.の二か所を訪問した。ブログを更新するのは実に半年以上ぶりだが、筆者のメモ代わりに書き記しておきたいと思う。先に述べておくが、筆者は米国のユダヤ人が専門ではない。そのため、間違いや解釈の問題が含まれている可能性が十分にあるということである。そのため、言うまでもないが、是非間違いや意見等があればぜひ指摘いただきたい。そうした指摘は、今後の筆者のさらなる考察の糧ともなる貴重なものだと考えている。

ちなみに、分量がかなり多くなってしまったので、目次を示しておいた。

 

目次

渡航まで】

【ゲイ・シナゴーグからCongregation of Beth Simchat Torahまで】

ホロコースト博物館とハンナ・アレント

【若者のカップリング・Shir Delight】

 

渡航まで】

このプログラムには、「ユダヤ研究者」の枠で紹介をいただいた。筆者はそもそも自分の関心が何研究に属するかという枠組みに何ら必要性も有用性も感じておらず、かろうじて「クィア研究」、「イスラエルパレスチナ研究」あるいは「中東研究」というカテゴリーには多少のなじみを感じてはいたが、「ユダヤ研究者」と自認したことは残念ながら一度もない。ではなぜこんなことを書くかというと、そもそものプログラムと経緯の説明に必要だからというのもさることながら、詳細は本ブログでは割愛するが、「ユダヤ研究者」と括られた研究者たちとの微妙な立場の違いも、このプログラムを通じて感じられたことの一つであるからである。

 

今回の渡航に関して、新型コロナウィルスの影響を受け、渡航を予定していた2名が直前で渡航を断念し、最終的な参加者は7名となった。ニュー・ヨーク市は3月13日に500人以上集まる集会を禁止し、19日には外出禁止令を出すかもしれないという、新型コロナウィルスの影響が広がる中で、今回のプログラムの実施は本当にギリギリであった。そのため、今回のメモは、残念ながら参加を断念した参加者の方のためにも書き記しておきたいという意図もある。

 

 しかし、事情を明かしてしまえば、今回ブログを書いている主な理由は、このプログラムから「SNS等で積極的に対外発信」をするように要請されているからである。この要請は、日本語で米国の文化等を発信する、もしくは英語で日本の文化等を発信するというものだ。なぜ言語によって区分けがされ、単一言語が想定されているのか、あるいは、なぜ筆者がまるで日本国の大使となり自国の「良いところ」をアピールしなければならないのかなど、このいかにも官製の要請に対して、思うところがないわけではない。そもそも、主観的にも客観的にも現在の日本国に特段「良いところ」があると思ったことがない。

それでもなお、ブログを更新しているのは、一つには、米国の文化等を発信するという「成果作り」に必ずしも賛同できないものの、一人の研究者として派遣された身として、発信する社会的要請と使命はあるだろうと考えているからである。その社会的使命と要請というのは、何も「派遣元の国家・社会の役に立たなければならない」という意味ではない。むしろ、特定の過程を通じてプログラムに選ばれた研究者という時点で、制度を通じた排除の論理に成り立っており(例えば筆者が大学という機関で研究を行っていなかったら、このようなプログラムに参加できただろうか?もっと言えば、国籍や言語的能力、健常な身体であることなど、筆者の意識しないところでの多くの障壁を乗り越えていなかったら?といった風に)、そういった「正規課程の学生、すなわち制度化された機関の恩恵を受ける研究者」という特権的な立場をどのように利用し、そういった構造を「簒奪」する糸口とする、という意味での社会的使命と要請である。

 

上記のような筆者の執筆動機に照らして考えると、この派遣が全く意味のないものだったかと言われればそうではなかった。筆者と近い問題関心や領域の日本の研究者と意見交換や交流し自身の思考様式や立場を改めて考える機会となったり、必ずしも米国を対象としていない研究者が、自身のイスラエルという地域の特殊性と共通性を考える契機となったほか、後述するように、ジェンダーセクシュアリティを専門とする者にとって重要な示唆を与える訪問先もあった。その訪問を実現してくれたのは主にツアーを組織していただいたイディッシュ語研究をされている鴨志田聡子さん、リトアニア反ユダヤ主義の研究をされている重松尚さんのお二人の尽力のおかげである。

 

【ゲイ・シナゴーグからCongregation of Beth Simchat Torahまで】

 「保井さん、LGBTよろしくね」と念を押されて、筆者の専門に近い訪問先として選ばれたのがCongregation of Beth Simchat Torahという団体である。Congregationというのは宗教的な人々の集まりのことを指す用語らしく、Beth Simchat Torahはヘブライ語でBeth(בית)は家や場所、Simchat(שמחת)は喜び、Torah(תורה)は聖書(Simchat Torahはユダヤ教の祝日の名前でもある)のことを指す。そのため、直訳すれば「聖書の喜びの集会所」であるが、団体のこの名前はほとんど何も説明していないに等しい。しかし、1973年にこの団体が設立された当初は、「Gay Synagogue」であり、そちらのほうが、どのような団体かは想像しやすい。

 

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団体の方たちと。対応していただいたのは正統派と改革派のラビ(ユダヤ教の宗教司祭)の方であった。

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ジェンダー分けされていないトイレの中の側壁には、団体の歴史が。

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初の公認ラビ。




―歴史

この団体は、1973年にニュー・ヨーク市のユダヤ人の性的少数者当事者が主体となり設立された。設立当初は当事者が安心して信仰を実践するためのコミュニティ活動、ピア・サポート(=自助)団体であった。この1973年という年は、米国での性的少数者をめぐる運動の歴史を考えると、ゲイ・リベレーションの流れの初期にあたると言え、ニュー・ヨークでの運動の活発化の中で活動を開始したものと考えられる。

 

 活動初期、このゲイ・シナゴーグは公認ラビ(ユダヤ教の宗教司祭)を持っておらず、ユダヤ教のどの派からも認められてはいなかった。しかし、この団体は当事者による週に一度の祈りなどのコミュニティとしての機能を志向していたため、実際は初期の活動においてラビが不在であることは特に大きく問題にはならなかったという。しかし、この状況が一変したのが、1980年代後半から始まるHIV/AIDSの登場と流行である。このAIDS危機は、同性愛者への非常に強い嫌悪感を伴い、性的少数者を取り巻く生活に大きな影響を与えたが、この団体にはもっと「直接的な」影響を与えた。AIDS危機によって、同性愛者のユダヤ人の死者の増加したことである。これまで、この団体は日常でのお祈りを中心としたコミュニティ活動を行っていたが、ユダヤ人同性愛者のHIV/AIDSによる犠牲者が増加したことによって、冠婚葬祭を行うために公認ラビが必要であることを痛感することになったという。当時同性愛やトランスジェンダーに対する偏見が強固で、この団体へのユダヤ教コミュニティからの承認を得るのは依然として難しかったが、1992年にレズビアン当事者であることを公表している公認ラビを初めて迎えることとなった。

 

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HIV/AIDSで亡くなったユダヤ人当事者の追悼モニュメント

―運営

 この団体の運営は、支援者による寄付によって成り立っている。

団体の寄付者の中には、

ハーヴェイ・ミルク

1977年にゲイであることを公表してカリフォルニア州サンフランシスコ市議員選挙に当選し、世界で初めてゲイであることを公表して当選した公人となった。ユダヤ系。

 

ジュディ・ガーランド

ゲイ・アイコンとして男性同性愛者らの間で絶大な人気があり、「オズの魔法使い」の彼女の役にちなんで作られた「Friend of Dorothy」という言葉は、自分が当事者であることを示す合言葉として知られていたほどである。1969年に亡くなり、その哀悼パーティをストーンウォール・インというゲイバーで行っていたところ、警察のがさ入れが入り、それに抵抗したことが世界的に有名なストーンウォール事件のきっかけになった。

 

・イツハク・ラビン

1992年から1995年にイスラエル国首相を務め、中東和平に関するオスロ合意や、職場における性的指向に基づく差別禁止法や事実婚レベルでの同性カップルの権利を認めた非登録居住制度を制定させた。

 

などがおり、団体の記念碑にその名前が載っている。

 

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左側にHarvey MilkとJudy Garland、右側にはItzhak Rabinの名前が。



ユダヤ×性的少数者

 訪問に対応していただいた二人のラビの方によると、ユダヤ人であること及びユダヤ教性的少数者であるという2つのことがらに関し、割礼と母系という個別の問題があるという。

 

・割礼

男性のユダヤ教のコミュニティにユダヤ教徒として承認されるには、割礼を経ている必要がある。しかし、FTMトランスジェンダーの場合、必ずしも身体の改変を伴っていない男性を、「ユダヤ教徒として男性と認めるか」というユダヤ教規定上の問題が存在する。

 

・母系

ユダヤ教は、上記に挙げた割礼を伴う特定の改宗の手続きのほかに、血統によってユダヤ人となるという規定がある。「母親がユダヤ人であれば子供もユダヤ人である」というものだ。しかし、子供を持っているMTFトランスジェンダーなどの場合、「母親」が「父親」となる場合、その子供がユダヤ人として規定されるかどうか、という神学上の問題が存在する。

 

以上の二点をラビの方に説明いただいた。しかし、これらの問題は、あくまでも神学上の問題であって、ユダヤ教そのものには熱心でないユダヤ人当事者も多いことを考えると、必ずしもユダヤ人当事者が直面する実際上の問題と言えるわけではない。こうした問題意識は教義に忠実なラビの視点から見たものとも言えるだろう。その他に、ユダヤ人当事者が抱える固有の文脈に関して質問したところ、ニュー・ヨークの性的少数者は当事者コミュニティや主流社会内部での反ユダヤ主義や白人至上主義の脅威に直面することを教えてくれた。

 

ホロコースト博物館とハンナ・アレント

 今回の訪問中、二つのホロコースト博物館を訪問することができた。当初の予定ではワシントンD.C.のUnited States Holocaust Memorial Museumだけの訪問の予定だったが、新型コロナウィルスの影響で当初の訪問先がキャンセルとなったことで、ニュー・ヨークで自由時間ができたため、ニュー・ヨークにもあるThe Museum of Jewish Heritage: A Living Memorial to the Holocaustも筆者はその時間を利用して訪れることとした。

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ニュー・ヨークにあるMuseum of Jewish Heritage: A Living Memorial to the Holocaust



 

それだけ元々筆者はホロコースト博物館を見たいと思っていたのだが、ホロコースト博物館に筆者が関心を寄せるのは、以下の二点である。

1.ホロコーストという経験とその語りが、現在のイスラエルのナショナルな言説に影響を与え続けているため。

2.ホロコーストと並行して行われたナチスによる同性愛者への迫害が、どのようにホロコーストの経験と語りに接続するかを探るため。

 

さらに、ユダヤ系でもあり、ジェンダーセクシュアリティに関する理論で著名なジュディス・バトラーは、イスラエル反ユダヤ主義の問題に関して、その著書でカリフォルニア州ロサンゼルスにあるMuseum of Toleranceというホロコースト博物館を批判していることもあり、筆者はホロコーストに関する博物館を訪問することをかねてより望んでいた。ちなみに、筆者は以前イスラエルエルサレム市にあるヤド・ヴァシェム(יד ושם)というホロコースト博物館を訪れたことがあるが、それ以外のホロコースト博物館を訪れるのは初めてである。

 

結論から言うと、ニュー・ヨークのホロコースト博物館もワシントンD.C.ホロコースト博物館も、特段目立った特徴といえるものは見当たらなかった(昨年カリフォルニアの派遣プログラムに参加した参加者の方からの話によると、カリフォルニア州にある先述のMuseum of Toleranceは、その博物館のつくりからしてかなり特殊であったとのことだった)。

二つの博物館は、通史的な展示から、殺戮の具体的な流れ、生存者の証言、遺品の展示に至るなどあまり顕著な違いがあったわけではない。ちなみに、どちらの博物館にも、ユダヤ人以外への迫害の欄で同性愛者に関するものがあった。

 

ワシントンのUnited States Holocaust Memorial Museumでは、施設の方にガイドをしていただいたが、その方によると、ワシントンのホロコースト博物館は、国によって運営されていることもあり、「教育に力を入れている」のが特徴、とのことであった。ちなみに、イスラエルホロコースト博物館であるヤド・ヴァシェムとの関係性はないとのことだった。確かに、ワシントンのホロコースト博物館では、表に人権に関する記念碑や、初代大統領のジョージ・ワシントンの言葉が展示されていたり、アメリカ人のホロコーストとの関連に関する特別展示があるなど、人権といった普遍的価値観に訴えるような米国市民一般に向けたものとなっている。

 

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United States Holocaust Memorial Museumの外に置かれていた碑。人権や人間の尊厳への言及がある。

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館内にはアメリカ合衆国独立宣言も。



しかし、これらの二つの博物館を訪問したことによって、むしろイスラエルホロコースト博物館であるヤド・ヴァシェムの特徴が浮かび上がってきた。ヤド・ヴァシェムは二つの博物館と全体の流れなど大きな部分で異なるわけではない。しかし、ヤド・ヴァシェムは、イスラエルが建国直後に国の威信をかけて設立に取り組んだこともあり、被害者の遺品数と生存者の証言は米国の二つの博物館に比して圧倒的である。

 

 

こうした「物質的な」差異のほかに、筆者がヤド・ヴァシェムを訪れた時に非常に奇妙に感じたのは、博物館の後半部分でイスラエル国歌である「ハティクヴァ」が流れることである。もちろん今回訪れた米国の二つの博物館では流れておらず、筆者にとってヤド・ヴァシェムの特殊性を改めて感じさせることとなった。ハティクヴァは1878年に作られ、シオニスト団体によってその歌に採用された曲で、歌詞は以下のとおりである。

 

心が内にある限り                                                                 כל עוד בלבב פנימה

ユダヤの精神は穏やか                                                                 נפש יהודי הומיה

東のはてまで前へ進む                                                           ולפאתי מזרח קדימה

その目はシオンに向かって                                                             עין לציון צופיה

われらの希望はまだ失われず                                                 עוד לא אבדה תקוותנו

二千年の希望                                                                  התקווה בת שנות אלפיים

われらの祖国にて自由の民となるという                          להיות עם חופשי בארצנו

シオンの祖国、エルサレム                                                        ארץ ציון וירושלים

 

このように、この国歌はユダヤ人の祖国を作るというシオニズムの考え方を表しているが、それ自体は、ホロコーストと直接関係がない。にもかかわらず、ホロコースト博物館でこの曲が流れるということは、ホロコーストシオニズムが分かちがたい不可分の関係だ、という印象を来場者に与える効果がある。

 

 筆者が今回ホロコースト博物館を二か所訪問するにあたり、一つ注視していた点がある。それは、ナチスとソヴィエトの体制について書いた「全体主義の起原」で有名になった政治哲学者のハンナ・アレントの博物館での扱われ方である。

 

なぜハンナ・アレントを筆者が注目したかと言われれば、ハンナ・アレント自身がホロコーストを生き延び、ホロコーストに大きな影響を受けたユダヤ人で、さらに全体主義の起原という著作がホロコーストに直接かかわっているからというだけではなく、ハンナ・アレントが、アイヒマン裁判で大きな論争を引き起こしたからである。1960年、イスラエル諜報機関であるモサドは、ナチスの「ユダヤ人問題の最終解決」の責任者だったアドルフ・アイヒマンを潜伏先であるアルゼンチンで秘密裏に捕らえ、イスラエルに移送した。翌年1961年に、イスラエルエルサレムユダヤ人虐殺の人道の罪に関する特別法廷が開かれ、結果的にアイヒマンは有罪を宣告され、イスラエルで唯一の事例となる死刑を宣告された。アレントはこれを傍聴し、傍聴記録として「エルサレムアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」という題で『ザ・ニュー・ヨーカー』紙に連載を残した。「この裁判がさながら政治ショーのようであり、アイヒマンが極悪非道の人間などではなく、ただの気の小さい役人であったこと、彼を有罪にするのであれば、ナチスに協力したユダヤ人コミュニティの指導者も同様である」としたアレントの主張は当初から大きな論争を引き起こし、特にイスラエル人やシオニストから非常に強い反発を招いた。

 

このように、特にイスラエル国内ではアレントに対して嫌悪感がある。これほどホロコーストに密接なかかわりがあるにもかかわらず、ヤド・ヴァシェムには、筆者の見つけた限りアレントへの言及は一切なかった。特にホロコーストに人生を左右された著名な学者や政治家の写真が並べられているコーナーにおいても、アレントの写真や名前は存在しなかったのである。一方、今回訪れたワシントンD.C.ホロコースト博物館では、ホロコーストに人生を左右された著名な学者や政治家のブースでアレントの紹介があった。さらに、ニュー・ヨークにあるホロコースト博物館では、ホロコーストに人生を左右された著名な学者や政治家のブースでアレントの紹介があるだけでなく、アレントホロコーストに関する考えがビデオとして上映されており、アレントが特別重要な存在として紹介されていた。このように、アレントには、ヤド・ヴァシェムでは言及がなく、ワシントンではほかの著名人と同等の扱いがされ、ニュー・ヨークでは特別の注意が払われており、三つの博物館でのアレントの扱われ方は、それぞれ対照的であった。

 

 この対照的な扱われ方は、アレントシオニズムに批判的であり続けたという立場から、イスラエルにあるヤド・ヴァシェムではアレントに対して言及するのに忌避感があったのかもしれない。逆にアレントを大きく取り扱っていたニュー・ヨークのホロコースト博物館の場合は、ニュー・ヨークという場所を考えた時に、アレントが『ザ・ニュー・ヨーカー』紙に寄稿したことが論争の始まりだったことや、アレントがニュー・ヨークを活動拠点にしていた経歴があること、さらに非シオニストユダヤ人も多くいることから、アレントをある程度重要視している土地柄があることが推察される。

 

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Museum of Jewish Heritage: A Living Memorial to the Holocaustでは、アレントの対談が上映されていた。

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United States Holocaust Memorial Museumでは、ホロコーストを生き延びた哲学者の一人として紹介。

【若者のカップリング・Shir Delight】

ワシントンD.C.では、訪問先の一つに、Adas Israel Congregationという保守派のユダヤ教コミュニティのShir Delightというイベントに参加した。このイベントは、安息日の前の祭り、カバラト・シャバト(קבלת שבת)を若者向けにカジュアルにしたようなもので、雰囲気も非常にアットホームな印象を受けた。

 

 イベントの参加者らは、カジュアルなレセプションで飲食をした後、会堂での聖書の音読・朗誦の時間があり、そのあと、ホールのようなところで食事をするという流れであった。全体として宗教的なユダヤ人ばかりかと思えば必ずしもそうではなく、キッパ(ユダヤ人のかぶる帽子)もかぶっている男性も多くはなかったし、聖書の朗誦の時も、聖書も覚えていない、ヘブライ語が読めない人もちらほらいた。

 

 ユダヤ人の若者がここに来る動機が、必ずしも宗教的なものではないならば、いったいこれらの人々はどうしてこの集まりに参加しているのだろうか。ツアー・コーディネーターの方の話によれば、どうやらこの集まりは、「出会いの場」になっているそうだ。

 

 筆者の感覚が疎いだけの可能性もあるが、イスラエルではシナゴーグといったユダヤ教コミュニティがこのような機能を果たしているのはあまり聞いたことがない。この二つの差が何かと考えると、イスラエルではユダヤ人であることが多数派であり「当たり前」であるため、パートナーを探したり、結婚相手を探す際に特別な場を求める必要がない。一方、米国では、ユダヤ人は少数派であるため、ユダヤ人の学校に行ったり、こうしたコミュニティに顔を出さない限りは、ユダヤ人同士での出会いは多くない。そのため、特に将来のパートナーを探すといった必要性に対して、シナゴーグ等のユダヤ人コミュニティが出会いの場としての機能を果たしていることは、十分にありうる。

 

参加者の若者たちに参加の動機を聞く機会はなかったが、このような場の機能を考えることで、もしかしたらユダヤ人コミュニティの置かれている立場を知る一つのカギとなるかもしれない。さらに、ジェンダーセクシュアリティに関心を持っているものとしては、このような場では、どのような人がより重要だと思われたり、「モテ」たりするのか、そこにはどのような権力関係が働くのか、そしてそこにはユダヤ人コミュニティの特殊性はあるのか、等さらに調べてみたいとも思った。

 

 今回の訪問は、ユダヤ人コミュニティやユダヤ人をめぐる状況の詳細を、腰を据えて観察するには、必ずしもその時間が十分あったわけではない。しかし、イスラエルの状況だけでなく、米国のユダヤ人の状況や、そのイスラエルとの関係を知るきっかけとなったという意味では、筆者にとって充実した渡航となった。

 

「聖なる都市」のLGBTプライド――イェルサレム・プライド参加記録

8月2日に行われたイェルサレム・プライドに行ってきた。今年の6月に行われたテル・アヴィヴ・プライドには今年初めて参加したのだが、何の因果かイェルサレム・プライドに参加するのは実は今回が三回目だった。今回はイェルサレム・プライドに参加した記録を書こうと思う。

 

 

当日の午前中、筆者はヘブライ大学でヘブライ語集中講座を受けていたのだが、授業が終わり帰る途中に、大学構内にレインボー・フラッグが高々と掲げられているのを発見した。

筆者が実際に来てみて感じたことだが、ヘブライ大学は、SOGI(性的指向及び性自認の略)にもとづく差別の解消に比較的積極的に取り組んでいる印象を受けた。(詳しくは近いうちに発行される東京大学中東地域研究センター発行のニューズレターにより詳しく書いているのでそちらを参照していただければ嬉しい。リンク<http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/UTCMES/publish/publish-cat/letter>)

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イェルサレム・プライドのルートはגן הפעמון(Gan ha-Pa‘amon:日本語で「鐘の公園」)から、גן העצמאות(Gan ha-’Atzma’ut:日本語で「独立公園」)までの2kmほどの道だ。15:30に会場の公園が開き、17:00に行進が始まる。筆者は16:30ごろに現地に着いたのだが、もう会場の公園は人でいっぱいだった。

 

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この行進のルートは警察と軍によってバリケードが敷かれ、車両・歩道共に完全に封鎖される。そして公園に入る際には荷物と探知機による検査を受け、参加証を腕につける必要がある。

ちなみにテル・アヴィヴ・プライドでも警備は厳重で、入る際には荷物検査が必要である。

 

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行進出発前の公園の中では、10余りの団体がブースを出していた。ブースやプラカードのすべては写真に収めてはいないが、公園での様子や行進中の様子をいくつか紹介しておきたい。(なお写真は全て筆者が撮影したもので、許可のない転載を禁止します)

 

1975年に設立され、プライドを主宰するהאגודה(ha-’Aguda:日本語で「組織」や「協会」の意味)

 

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若者支援を行うבית דרור(Beit Dror:日本語で「自由の家」)

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高い人。「平等」のプラカード。

 

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ユーロ・ヴィジョンで優勝したイスラエル人歌手の曲をもじったヴィーガンのTシャツ

 

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「いきものを愛せ、食うな――アノニマス」と書かれたスティッカー

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イスラエルの世俗・左派政党メレツのLGBTグループ

 

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世俗・中道左派政党群シオニスト連合のグループとその旗

 

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世俗・右派リクードの旗を持つ参加者「あなたにはホームがある」と書かれている。

 

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レインボー・ダヴィデの星と、イスラエルの国旗

 

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先日国会を通過した国民国家法に反対するプラカード

国民国家法は私たち全員を傷つける」

 

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ピンクウォッシングと占領に反対する団体(ピンクウォッシングとは、イスラエル政府が世界各地でLGBTフレンドリーだと広報宣伝することで、パレスチナに対する占領・抑圧という負のイメージを覆い隠そうとしていると非難する言葉)

「占領にプライドは無し」

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f:id:GSmiddleeast:20180808074215j:plain「抗議者を撃ち殺すな」

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パレスチナ解放」

 

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パレスチナ解放に賛同するクィア

 

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2015年のイェルサレム・プライド行進中に亡くなった10代の参加者の

追悼。ユダヤ教超正統派の過激派にナイフで攻撃され、亡くなった。

 

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ユダヤ教超正統派の反対は根強く、今年は見かけなかったが、去年や一昨年のイェルサレム・プライドでは、公園の近くで反対デモを行っていた。(写真は去年のもの)

イェルサレムはソドムではない(ソドムは性的堕落がもとで神に滅ぼされたと旧約聖書に記述のある街)」

「(赤ちゃんの写真と共に)ママとパパが欲しい」

 

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アメリ総領事館(今年移動してきたアメリカ大使館ではない)

トランプ政権発足後も継続してレインボーフラッグが掲げられている。

 

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これらの写真は、もちろん全ての団体をカバーしているものではないし、当日取った写真は他にもあり、かなり筆者の関心に沿って撮影をしたものだ。簡単に補足しておくと、当日は他にも若者支援、新しく「アリヤー=ユダヤ人がほかの地域からイスラエルに来てイスラエル人になること」した人の支援団体、教育関係団体、レズビアン団体、トランス団体等、多くの当事者団体があった。プラカードで言えば、「平等」や「プライド」などを掲げたクラシックなものもあれば、障がいのある人に対するアクセスを訴える人や、割礼に反対する団体のプラカードなどもあった。このブログの写真だけを見ると、パレスチナ問題はイェルサレム・プライドでも大きな関心を持たれているように見えるが、筆者の感覚で言えば、多くの人が占領やピンクウォッシングに関心があるとは言えない。むしろピンクウォッシングに反対するTシャツを着ている人よりも、イスラエルの旗を掲げている人の方が多いのではないかという感じだ。

 

さらに、パレスチナ(とイスラエル)で活動するالقوس(al-Qaus:アラビア語で「虹」の意味、英名Al-Qaws)は、占領とガザ情勢を考慮し、イェルサレム・プライドをボイコットしている。筆者の友人のパレスチナ人ゲイもBDS(イスラエルに対するボイコット運動)を理由に参加しなかった。

筆者がイェルサレム・プライド(やテル・アヴィヴ・プライド)に参加していつも感じることは、このプライドイベントは、「ユダヤ人のものだ」と強く感じることだ。未だに強く同性愛やトランスジェンダーに対する反感が強いパレスチナ・コミュニティは排除され、ヘブライ語が支配的な一方でアラビア語はほとんど見ない。(先日の国民国家法によってアラビア語公用語から国語に格下げされたことも、何か関係があるのだろうか)イスラエルの旗は至る所で確認される一方で、パレスチナの旗はFree Palestineを訴える一人以外に見つからない。

結局のところ、イェルサレム・プライドは事実上「西イェルサレム・プライド」なのだ。西イェルサレムの中だけを行進するこのイベントは、果たして本当の意味での「イェルサレム・プライド」なのか?東イェルサレムを彼らが歩く時、一体何が起こるのだろうか?

イェルサレムに詳しくない方も多いかもしれないので説明しておくが、イェルサレムヘブライ語ではイェルシャライム、アラビア語ではアルクッズ)は国際法上は東西に分かれているとされ、東イェルサレムはヨルダン領、そしてオスロ合意では「将来のパレスチナの首都」と規定されている。1967年の第三次中東戦争の結果イスラエルイェルサレムを「統一」し、2000年代にイェルサレムの外側に分離壁を建設したため、事実上イスラエルに統治・統合されていると言っていい。しかし東イェルサレムは今でも多くのパレスチナ人が住んでいる地域である)

 

筆者が感じたこれらのことは、様々な形で性的少数者当事者同士の間に排除・分断が起き、プライド本来の目的である「性的少数者の解放」という普遍的価値観が矛盾を抱えているというだけでなく、性的少数者の運動における植民地主義と排外主義、西洋中心主義がより深いレベルで呼応しているように思えてくる(パレスチナ問題だけでなく、例えばイスラエルにおける、アシュケナジーム(東欧系ユダヤ人)、ミズラヒーム(中東系ユダヤ人)といったユダヤ人の中での人種ヒエラルキーも含めた形で)。

 

ちなみに、イェルサレム・プライドに関する新聞報道は、ざっと見たところ以下の通りだった。左派系の新聞社を中心に報じられている。

ヘブライ語

左派系紙הארץ(Ha-’aretz:「国」の意味(厳密に言えば「国」よりも国家主義的)。)

https://www.haaretz.co.il/gallery/events/special-events/event-1.3474302

中道系紙ידיעות אחרונות(Yediot ’Achronot:「最新情報」の意味)

https://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-5321451,00.html#autoplay

 

〈英語〉

Ha-aretz(ヘブライ語紙הארץの英名)

https://www.haaretz.com/israel-news/.premium-jerusalem-s-largest-pride-parade-ever-to-kick-off-under-heavy-security-1.6339690

中道系紙The Jerusalem Post

https://www.jpost.com/Opinion/Jerusalem-pride-564068?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

 

〈日本語〉

朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASL832W98L83UHBI004.html

 

これらの新聞報道によると、イェルサレム・プライドに参加した人の数は二万人余りのようだ。これは、実はテル・アヴィヴ・プライドの参加者25万人の10分の1に過ぎない。イェルサレムは総人口がおよそ80万人で、テル・アヴィヴはその半分の40万人ほどであることを考えると、この対比は鮮明だ。規模の他にも、イェルサレム・プライドとテル・アヴィヴ・プライドには相違点も多い。筆者の感じた両者の最大の違いは、以下の二点だ。

Ⅰ政治性の強さ:

イェルサレム・プライドは、より緊張に満ち溢れている。去年イェルサレム・プライドに参加した時は、沿道の住宅から宗教的ユダヤ人とみられる住人から親指を下に突き出したサインを受けたのに対し、プライド参加者が中指を突き立てて対抗する光景が見られた。これだけではなく、2005年、2015年にはイェルサレム・プライドは犠牲者を出している。そのため、寛容に向けた政治的主張の場であるという意識が強い。一方、テル・アヴィヴ・プライドも厳重な警備ではあるものの、中に入ってしまえば、お祭りの雰囲気だ。楽しげなクラブ・ミュージック、シャボン玉、シャワーのように浴びせられる放水、ビーチでのフロート、中で売られるアルコール…。脱政治化と商業化がより進んでいるのだ。

 

Ⅱそれぞれの市のテコの入れよう:

テル・アヴィヴ市は、テル・アヴィヴ・プライドを観光資源に利用しようと、アピールに積極的だ。街には看板が掲げられ、テル・アヴィヴ市には市の出資によってLGBTセンターという施設が存在し、テル・アヴィヴ・プライドの毎年のテーマ決定にはこのLGBTセンターが関わっているほどだ。テル・アヴィヴ市庁舎はプライド当日には虹色に点灯され、SOGI(性的指向及び性自認)にもとづく差別の是正に積極的な姿勢を街を挙げて打ち出している。

テル・アヴィヴ市に対しイェルサレム市は、警察の協力はあるものの、市を挙げての姿勢を打ち出すことには、消極的だ。2016年のイェルサレム・プライドに対しイェルサレム市長のニル・バルカットは公式参加しないことを決定、以下の声明を出している。

 

「行進するのは彼らの権利だ。イェルサレム市、私自身そして警察はその権利を享受できるよう全てのことをする。しかし彼らはそれらが他者を傷つけることを理解せねばならない。寛容性は人々が行進するのを許可することだけでなく、他者の感受性や感情を攻撃することなく行進するやり方を発見することも意味するのだ」(The Times of Israel (2016). Jerusalem mayor says he’ll avoid pride parade to not offend religious: <http://www.timesofisrael.com/jerusalem-mayor-says-hell-avoid-pride-parade-to-not-offend-religious/>

 

バルカットの念頭にあるのは明らかに、前年の2015年に起きたユダヤ教超正統派の過激派によるプライド参加者の殺害事件だ。そして、より広範なレベルではイェルサレムが聖地を抱え、宗教的なユダヤ人の性的少数者に対する価値観への配慮だと考えられる。

 

最後に、筆者はイェルサレム・プライドに参加してみて、東京のプライドとの違いも感じた。ちなみに、筆者はイェルサレム・プライドとテル・アヴィヴ・プライドの他には東京のプライドにしか参加したことがないので、もしかしたら他のプライドと比較してみるのも参考になるかもしれない。

 

まず、イスラエルのプライドには、ヴィーガンやアニマル・ライツの団体が多く参加している。東京のプライドにもヴィーガンの主張を見かけたことがあるが、その規模はその比ではない。イスラエルには、キブツという独特の農業コミュニティの影響と宗教的な食事規定のおかげもあってか、ヴィーガン人口がかなり多い。他にもテル・アヴィヴで去年アニマル・ライツのデモがあったとき、その規模は世界最大規模だったそうだ。性的少数者の問題は、アニマルライツと「普遍的人権」という価値観で共通する点もあることから、これら両者の動きの架け橋が比較的進んだのかもしれない。いずれにせよ、もう少し観察が必要だ。

二つ目は、イスラエルのプライドには、「並ぶ」という概念が存在しないことだ。東京のプライドは、主催側と警察との交渉の関係か、参加者は事前に整列を要求される。そんなことはイスラエルのプライドでは要求されたことはなく、通り道は完全封鎖され、出発地点から、各々が出発し始める。これは、テル・アヴィヴとイェルサレムの両プライドが特殊なのか、東京のプライドが特殊なのか、他の地域の事情を知らないため筆者には判断しかねる。

ちなみに一般的に「イスラエル人は列に全く並ばず、自己中だ」という出所不明の言説をよく聞くが、こういう国民性が関連しているかは本当のところはよく分からないし、それが関連してるとも断定しがたい。(そもそも国民性の議論は主語が大きすぎてミスリードになるし、偏見を助長するから、個人的には嫌いだ)

 

という言うように、今回は、イェルサレム・プライドに参加し、その様子を簡単にまとめてみたが、まだまとまらない考えも多く、もう少し深く見続けてゆく必要があると感じた。

東京レインボープライドは、「政治的」でないのか?  

このブログを開設したきっかけは、もともと「地域は異なれどジェンダーセクシュアリティを専門にしている、博士課程という高等教育を受けた学生が、自分の考えや知識を社会的に発信しないことが許されるのだろうか」という自分自身への疑義からであった。そして、この出発点は、今回の記事にもつながる話だろうと考えている。

 

しかし2か月ほど前にこのアカウントを作ったはいいものの、その後、怠惰から一度もブログを更新していなかったが、遂に重い筆を取る気になった。それが、今回の東京レインボープライドで起きた「安倍やめろ」や「天皇制反対」のプラカードをめぐる一件である。僕の知る限りでは、「安倍やめろ」のプラカードが写り込んだ写真が、東京レインボープライドの公式ツイッターで拡散されることとなり、多くの人の目に映ることになったという経緯である。

(毎年東京レインボープライドには参加しているものの、今回海外におり参加できなかったので、僕の知らないところで議論が展開していたのかもしれないし、ツイッター及びにちゃんねる(?)での一連のやり取りも限定的にしか分からないので、もし知らない事実があった場合は、指摘していただきたい。)

 

そして、今回ブログを書くことにした理由は、この写真に対する反応が、僕の認識とは大きく異なる形で広がっていることに筆舌に尽しがたい違和感を覚えたからである。

特に、

LGBTパレードは性的マイノリティーが置かれている現状の理解や差別に反対するパレードです。「天皇制反対」や「安倍やめろ」は他のデモでやって下さい。 LGBTパレードではして欲しくありません。大の大人なんですから考えて下さい。」

という趣旨のツイートや、

「レインボーパレードはお祭りだ。GAYに生まれてきたけど、人生楽しんでるよ!と楽しく明るくアピールする場だ。それを左翼の奴らが差別反対のカード掲げてパレードを政治利用し陰湿にしている。勘弁してくれマジ。」

という趣旨のツイートが多くリツイートされていることに驚き、中でもパレードを「政治利用」するという表現が、どうしても理解できなかったのである。

これらの反応を受けて、一つの問いを立ち上げ、一人の学生として考察してゆきたい。

 

・東京レインボープライドは、「政治的」ではないのか?

 

前述のツイートは、「政治利用する」ことを批判する内容であるということから、「政治的でないパレード」が前提されているようである。一体東京レインボープライドというイベントは、政治利用されずにいることが可能なのだろうか。

 

 

 

【プライドの歴史と政治性】

これらのツイートは、「今までのプライドはお祭りであり、政治的主張をもたないものであった。だからこそ、非政治的なお祭りに対して政治を持ち込むのは容認できない」という前提に立っている。

しかし、少なくともプライドの歴史を知る学生にとっては、このロジックの流れは非常に疑わしいものに見える。

今や世界各地で行われるようになったプライド・パレードというイベントは、1969年のニュー・ヨークのストーンウォール事件が発端となっている。ストーンウォール事件は、ニュー・ヨークのストーンウォール・インという同性愛者やドラァグ・クィーンが多く集まるバーに対し、警察が酒類販売許可の取り締まりを名目にガサ入れに入ったときに、その場にいた多くの同性愛者やドラァグ・クィーンが籠城し、抵抗した、という事件である。この事件は「初めて」同性愛者らが行政を相手に大々的に闘った画期的な事件として認識されている。翌年の1970年にこの事件を記念・哀悼する目的で行われたデモ行進が、現在のプライド・パレードの前身となり、今では、「性的少数者の差別と偏見を解消する」という非常に政治的な主張を持ったデモ行進になっている。

この歴史を考慮する限り、プライド・パレードというのは、そもそも非常に政治的で局地的なデモ行進であったものが、米国の国家的・経済的な影響力の大きさゆえに世界各地に拡散した運動であるということがわかる。その歴史性を考えた時に、「東京レインボープライドだけがその例外であり、政治的なイベントでない」と捉えるのは、むしろ不自然なのではないだろうか。そう考えるなら、「プライドは政治的なものではなかった」というはじめの前提は、覆ることになる。

 

では、もともと非常に政治的なイベントであるプライドを東京でも行う、というときに、東京レインボープライドは、どのように対処してきたのだろうか。東京レインボープライドは、そうした政治性を意図的に打ち出さず、そう見えないようにすることで、多くの人を巻き込むという戦略をとってきたのである。実際にパレードの運営は警察への届け出に関しても現在の「デモ」としての届け出ではなく、将来的に「お祭り」にすることが目標であると語っていることから、今日一般の参加者に「そう見えない」ことは、ごく自然なことのようにも感じる。その戦略の是非については、学生一個人の判断の域を超えていると考え、ここでは控えたい。

 

【「政治的ではない」というコト…?】

プライドというイベントが、そもそも歴史的に見て政治的な主張を持ったイベントであるということは、以上の通り説明したつもりである。しかし、この一件は、そもそも、政治的でないイベント、もっと言えば政治的でない行為は存在するのだろうか、という問いをも想起させる。

これは、社会科学を学ぶ人間の間ではおそらく当然の前提として共有されていることだと認識しているが、「差別を含むあらゆる権力(ここでは政治性と言ってもいい)は、主体の意思とは関係のないところにおいても働く」ということが深く影響している。

これは、セクシュアル・ハラスメントの文脈において、加害者側が「そのつもりはなかった」と言ったところで免罪されないのと同じであり、もっとわかりやすく言えば、卑近な例だが、いじめの構造を例にとって話すとわかりやすいかもしれない。いじめという人権侵害が行われている最中に、いじめの加害者、いじめの被害者の他に、いじめを傍観している人間は、中立的に機能しないだけではなく、この権力関係の一部に既に組み込まれていると考えるのと同様だ。

もちろん、それぞれの状況によって何を選択するかに主体性は関わってくるし、どの選択を行うかによって政治的インパクトが異なるのは確かだが、全ての主体は、既に何らかの権力関係に巻き込まれているし、その政治性からは逃れられない。

それは、もっと根源的なレベルでもそうである。

例えば、僕は今エルサレムというところにいるのだが、例えば僕は生きるために食べ物を買い、飲み食いをしている。その消費という行為も、そのお金が、イスラエル経済を回し、回りまわってイスラエルパレスチナの紛争に使われている可能性を考慮すれば、僕はそれを望んでいないものの、望むと望まざるとに拘わらず既に充分に政治的影響力を持っている。

他にも「同性愛に悩んで苦しんだ18歳の僕が、自殺という選択をしなかった」ということにも何らかの政治性はあり、「いまブログを書いている」、ひいては「生きている」ということは常に何らかの政治性を帯びている。このことを考えれば、あらゆる行為が、既にある政治性から逃れられない、ということは容易に想像がつくだろう。だからこそ、啓発活動であったり、教育活動を通じてその政治性に対し、せめて自覚的であることが求められているのである。

 

そう考えるならば、「パレードを主催すること」や「パレードに参加すること」、あるいは「パレードに参加しないこと」、「パレードにアクセスし、参加できること」その他色んな事が政治的な行為ではないと考えるのは難しい。

 

【左派の思想を持ち込む、ということ?】

このように考えると、東京レインボープライドという場は、政治的であることを余儀なくされている。であるならば、翻って「あらゆる政治的主張でも持ち込んでいい」という結論になりはしないだろうか。

そう考えたところで、「いやいやいや」と考えている読者も多いかもしれない。このロジックを突き詰めると、東京レインボープライドは「性的少数者の差別と偏見を解消する」という当初の名目を失い、「安倍やめろ」や「天皇制反対」といった「関係の無い」政治的主張に「乗っ取られてしまうのではないか」と考えるのも当然の帰結である。

 

イベントの主旨がずれてしまうことによって本来の「性的少数者の差別と偏見を解消する」という目的が達成されないことの問題は、それぞれ個人で考えるべきであり、僕個人が「具体的にこうするべきだ」と言える立場ではないと感じている。

 

しかし、「安倍やめろ」や「天皇制反対」といった「左派思想を持ち込むこと」が「性的少数者の差別と偏見を解消する」ことと結びつかないと考えるのは無理がある。なぜなら、「性的少数者の差別と偏見を解消する」という要求自体が、既に左派思想の一部だからである。

 

日本をはじめとした多くの国で実践されている「性的少数者の差別と偏見を解消する」という要求は、基本的人権の尊重という1789年のフランス人権宣言を基にした西欧的価値観を元にしている。語弊を恐れずに言えば、「性的少数者は性的多数派と変わらない人間であり、既に存在する差別や偏見という人権侵害から解放されねばならない。」というロジックである。つまり、性的少数者の差別や偏見を解消する運動は、少なくとも「人権は守られなければならない」という大きな枠組みの上に成り立ち、そこから逃れられないと一般的に考えられている。(もし、僕が不勉強で、全く異なる他のロジックを用いて主張を行ってきた団体があれば教えてほしい)

 

そして、この「人権」という概念に則る限り、あらゆる形態の差別に反対する必然性がある。なぜなら、「性的少数者だけが人権を享受できればよい」という考えは、それ自体がすでに他の形態の差別に対する差別すなわち人権侵害であるからである。つまり、性的少数者に対する差別に反対するためには、女性や人種、国籍、宗教、障害といったあらゆる形態の差別に反対するという前提がない限り、その思想的基盤が蓋然性を失ってしまい、自らの主張が内側から瓦解してしまうのである。

その意味では、「性的少数者の差別と偏見を解消する」という主張は、「人権」という思想的支柱を寄りどころにしている限り、すでに左派的な思想でなければ存在しえないということになる。

それを考慮すると、「安倍やめろ」や「天皇制反対」という要求は、少なくとも安倍晋三性的少数者の人権保護とは大きく異なる思想を基にした政治家であること、「天皇制」が出自という形態の差別に相当し、また戸籍制度を考えれば性的少数者にとっても重大な課題になることを考えれば、思想的にはつながっていると考えるのが妥当ではないだろうか。

 

個人的な意見としては、パレードに対しどんな政治的主張を持ち込むか/持ち込まないかは、個人の意見の分かれるところであるし、それを批判することはむしろ喜ばしいことであると考えている。ただ、それを批判する際に「政治利用をするな」の語を使用するのは、あまりにも実態からかけ離れているということを強調したかったのだ。

 

僕はツイッター上の言説を目にし、自分の考えとあまりにもかけ離れていることが気になったことから筆を進めたまでであって、ツイッター上の言説を一方的に断罪したり、はたまた具体的な解決策を講じたり提案したりするものではない。それは、「パレードは誰のものか」という簡単には答えの出ない古くからの問いの一部であるという自覚からであり、また一方で、自分の知識量のなさ、未熟さが原因である。ただ、それでも、異なる立場の人々に対し、このブログを期に、議論を喚起する一助になれたら幸いである。